癒しの心『2つの優柔不断』

癒しの心 カウンセリング

決めない事が優柔不断ではない

決断に迷ってしまう事はありますか
物事によっては、決断しようと思っていても中々決断できない事もあるように思います
それなのに、他の人が決められる事を自分が決められないでいると、自分は優柔不断だと思ってしまう事があります
考えがまとまらず決めかねている事があると、周りから優柔不断だと言われてしまい、決めない事が優柔不断だと思う事もあるかもしれません
しかし、決められないと思っている事の中で、自分が本当に決めなくてはいけない事はどれだけあるのでしょうか
特に自分は決めなくていい事であっても、周りの人が決めっているから自分も決めなくてはいけないと思って、無理やり決めている事はありませんか
誰でも、他の人が決める必要があると思う事であっても、自分は決める必要がなくどっちでもいいと思う事もあるように思います
それなのに、自分が決める必要がある事を他の人が「どっちでもいい」と言っていると、決められない優柔不断な人だと思うのはちょっと違うように思います
優柔不断を辞書で調べてみると「ぐずぐずして物事の決断が鈍いこと」と載っています
優柔不断は決断できない事を指すのではなく、決める必要がある事をぐずぐずして決めていない事を指しています
私たちの日々の決断の中で、誰もが決める必要がある事よりも、個々によって決める必要があるかないかがわかれる事の方が多いように思います
何を決める必要があるかは人によって違うもので、他の人と同じ事もあれば違う事もあるように思います
そうであるなら、他の人が決める必要があると思う事であっても、自分が決める必要がない事であれば、どちらでもいいとしてどちらかに決める必要はないと思います
それなのに周りに優柔不断だと思われてしまう、優柔不断ではいけないと思って、決める必要のない事まで決めているから心は疲れていくように思います
優柔不断ではいけないとは思いますが、優柔不断と決めない事はイコールではありません
自分が決める必要がある事を決めないのが優柔不断であって、自分が決める必要がない事を決めない事は優柔不断ではないと思います
それなのに「どっちがいい」と聞かれて、「どっちでもいい」と答えると優柔不断だと言われる事があります
自分としてはどちらでも大して変わらないので、どちらも選ばないという決断をしているのに、選ばなかったという行動だけを見て優柔不断だと言われる事があります
もちろん、どっちでもいいと言っときながら、やっぱりこっちが良かったと後になって言うのであれば、それは優柔不断だとは思いますが、そうでなければ違うと思います
どちらでも良いには、自分の好みを加味して相手に選んで欲しいと依存している時だけでなく、どちらに決めるほどその選択肢の差がないからどっちを選んでもいいと自立している時にも使われるものだと思います
逆に優柔不断でない人であれば、どちらでも良いと言う相手を優柔不断だと思う事なく、素直に自分が選びたい方を選ぶように思います
そうでない人は、実は自分に優柔不断な所があって、自分で決められないから相手に決めてもらうとしている自分がそこにいるだけかもしれません
どっちでも良いと言っている相手を優柔不断だという人の方が、本当は優柔不断な人のように思います
決めない事が優柔不断なのではなく、優柔不断は決める必要がある事を決められない人に使うものだと思います

人はなぜ、決められない事があるといけないと思ってしまうのでしょうか
誰もが日々、多くの選択をしています
朝起きる、歯を磨く、朝ご飯を食べる、仕事に行くなど、毎日同じように繰返し行われている事でも、その都度その事を選択するかどうかを自分で決めています
そのせいか、私たちは自分にとって選択する必要のない事であっても、目の前に選択肢があったら選択するかしないかを決めなければいけないと思っているのかもしれません
選択する必要がない事を選択していると、その選択で本当に良かったのかと、自分の決断に疑問を持つようになっていきます
自分が選択する必要がなかった選択に良いも悪いもありません
自分が選択する必要がなかった選択は、元々は選択しなくていい事なので、どんな選択をしても良くもなく悪くもありません
何故なら、その事は自分がしてもしなくても良かった事だからです
それなのに、良し悪しのない選択に対して、無理やり良し悪しを決めてしまうと、良い事がない選択はずべて悪い選択だと思っていきます
良くない事の全てが悪い事であるとは限りません
良くも悪くもない事は私たちの日々の生活の中には多くあると思います
心が平穏で穏やかな時は、誰もがその事に気づいていけるのに、少し心が疲れてくるとその事に気づけない時があります
そうなると、すべての事に対して自分では決めのではなく、他の人の決めた事にただ同調するようになってしまいます
そうなってしまうと、自分に自信がなくなっていき、自分で決められない優柔不断な心になってしまうように思います
大事なのは、目の前にある選択肢をすべて選択するかしないかを決める事ではなく、自分が決める必要のない選択肢は選択しないと決める事だと思います
目の前にあるから、他の人が選択しているからと思っても、自分が選択する必要のない選択肢であるなら、選択しないと自分が決める事です
その行動で仮に周りから「優柔不断だな」と言われても、自分が選択する必要がないから選択していないと決めていれば、特に気になりません
今使われている優柔不断という言葉には、依存する優柔不断と自立する優柔不断があるように思います
自分にとって選択する必要がない事を選択しないと決める事は、自立する優柔不断になります
他の人にとっては決める必要がある事を決めていないので、他の人には依存する優柔不断に見えていたとしても、自分は決める必要がない事だと自分が決めていれば、それは自立する優柔不断になります
どんなに他の人が決める必要がある事だと言っても、自分がそう思わなければ無理に決める必要はないと思います
自分が決める必要のない事を、他の人が決めている、或いは、決める事を強要してくるからといって無理に決めるから、心が疲れていき自立した優柔不断が依存する優柔不断になってしまうのです
日々の選択で依存する優柔不断をするようになってしまうと、周りが気になってしょうがなくなり、自分で決める事ができなくなってしまいます

依存する優柔不断はいけませんが、自立する優柔不断は何も問題はないと思います
大事なのは、決めないという決断を自分がしているかどうかです
自分が決める必要がない事であれば、どちらでも良いと思って、どちらにも決めないという決断ができるかどうかだと思います
人の心は曖昧なもので、Yes か No か、はっきりしない事もあるように思います
それなのに、皆が Yes だから Yes、皆が No だから No と決めていたら、それは自分で決めている事とは言えません
わからない事はわからない、どちらでもない事はどちらでもない、そう決める事ができれば、それは自立する優柔不断だと思います
自分が決められないから誰かに決めて欲しい、そう思って決められないと言っているのが優柔不断で、そうでないのは優柔不断ではありません
しかし、決めない事が優柔不断だと思われるなら、自分で決めない依存する優柔不断ではなく、自分で決める優柔不断でいきましょう
どんなに周りが優柔不断だと言ってきても、どちらでもいい、特に決める必要がない事だと自分が思うなら、Yes でも No でもどちらでもないと自分が決めていきましょう
人は、自分の事は自分で決めています
自分以外に決められていると思う事があっても、それは、自分以外が決めた事をしていく方が良いと自分が決めているにすぎません
そうであるなら、自分以外が決めた事を自分が決めるのではなく、全ての事を自分が決めていけるようにしていく方が良いように思います
どうせ最終的には自分が決めているのであれば、自分以外が決めるのではなく、自分が決めていく方が良いと思うのです
自分が決めていると思えば、自分の行動の責任は自分にあると思えます
自分以外が決めていると思いたい人は、もしかしたら、自分に責任が持ちたくない人なのかもしれせん
自分以外の誰かによって決められていると思っていれば、自分の行動であっても自分が責任を持たなくても良いと思っているのかもしれません
しかし、どんなに自分以外が決めていると思っても、最終的に決めているのは自分なので、自分の行動の責任がなくなる事はありません
何でもかんでも目の前にあるという事だけで、自分に必要のない事まで選択している時は、自分に責任が持てなくなっている自分がいるのかもしれません
周りが、皆が決めているから自分も決めているだけで、自分が決めたいと思って決めていない、だから自分に責任を持つ必要がない、そう思い込もうとしているのかもしれせん
その行動は、自分で決めない依存する優柔不断と何も変わりありません
自分で決めていると思っている分、自分で決めていないと思って依存する優柔不断より、心の負担は大きいかもしれません
その選択は、自分が決める必要がある事なのか、先ずはそれを考え、決める必要がある事は決め、決める必要がない事は決めずに、どちらかわからない事はわからないと決めていきましょう
そうする事で、自分が決める必要がある事と決める必要のない事の違いがわかるようになってきて、自分に責任が持てるようになると思います

自分に必要ない事を無理やり決めている事はありませんか
皆が良いというから自分も良いと思う
皆が違うと思うから自分も違うと思う
そんな風に決めている事はありませんか
自分の行動を決めていくのは自分です
周りや他の人の影響を受けはしますが
自分以外が自分の行動を決める事はありません
それなのに、自分が決めていないと思う事があるなら
依存する優柔不断な心になっているのかもしれません
無理やり決めている行動は自分のせいではない
だから自分には責任がない
そう思ってしまう事はありませんか
他の人と違っても構いませんし
何でも決める必要もありませんが
ただ、自分が決めていないと思うのはやめましょう
Yes でも No でもない時は、Yes でも No でもないと決める
そうしていくだけで
依存する優柔不断な心は
自立する優柔不断な心になっていきます

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癒しの心『心をリストラする』

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リストラとは再構築すること

周りの影響を受けすぎて、今の自分の心の思いが見えなくなっていませんか
本当はそんなに興味がないのに、皆が言うから興味があるように思ってしまう
特に発信したいわけではないのに、皆が発信しているから何となくしている
皆が便利だというから、自分にとって何が便利なのかがわからないけど使っている
本当は違う事をしたいのに、みんなと合わせないといけないと思って、自分のしたい事を我慢している
自分では面白いと思わないのに、皆が面白いと言っていると面白いと思ってしまう
自分の好みの味ではないのに、皆が「おいしい」と言っているとおいしいと思ってしまう
規則や法律で決まっていないのに、こうでなければいけない、こうしなければいけない、と思ってしまう事がある
自分がした行動の理由を、「皆が」「周りが」と自分ではなく他の行動を理由にあげてしまう
そんな自分がいたりしませんか
何故その行動をしているのかと聞かれて、自分なりの理由がこたられない、或いは「皆がしているから」と答える行動は、自分の心が見えなくなっている時だと思います
それは、自分の心の中に周りの思いに影響を受けすぎた偽りの思いが入り乱れてしまい、本来あった自分の心の思いがどれだったのかわからなくなっている状態です
偽りであっても、本当であっても、心の中にある思いは思いなので、ぱっと見にはどちらが、自分の本当の思いかは自分で見分けがつかない事があります
特に、周りの事が気になってしょうがない時は、自分の本当の思い以上に偽りの思いが増えてしまい、心の中は二つの思いでパンパンで隙間がなくなっています
心の中に隙間がある内は、偽りの思いがあっても自分の心の思いが見えなくなる事はありませんが、心の中に隙間がなくなると自分の本当の思いが見えなくなる事があります
自分の本当の思いが見えなくなると、自分の意思は揺らいでいき、もっと周りの影響を受けてしまい、自分の事よりも周りの事が気になってしょうがなくなっていきます
周りの事を気にすれば気にするほど、自分の心には偽りの思いが増えてしまい、自分の心の中の隙間がどんどんなくなっていきます
心の中に偽りの思いが増え続けてしまうと、その内に、偽りの思いに自分の本当の思いが吸収されてしまい、偽りの思いを自分の本当の思いだと思うようになります
そうなると、他の人が評価してくれないと自分には価値がないと思うようになっていきます
自分の事を他の人が「いいね」してくれなければ自分に価値がないと思ってしまい、他の人が「いいね」してくれる行動をしていくようになります
その行動に自分が本当にしていきたい行動があればまだ良いのですが、その行動にある思いは偽りの思いなので、自分が本当にしていきたい行動である事はほとんどありません
それは行動している自分でもわかっているはずなのに、偽りの思いでパンパンになって心に隙間がなくなると、他の人の「いいね」を求めていくようになってしまいます
それは、欲望という底なし沼にはまったいる状態で、他の人から「いいね」がもらえればもらえるほど、どんどん深みにはまって抜けだせなくなっていきます
もし、今の自分に他の人の「いいね」が欲しくて行動している事があるのなら、他の人の「いいね」がたくさんつく前に、自分の心をリストラしていきましょう
リストラは何かを削減する事ではなく、再構築していく事です
自分の心をリストラするという事は、自分の心の思いをなんでも減らしていく事ではなく、心の思いを整理して、本当の自分の思いが見えるようにしていく事です
周りの影響は一旦置いといて、自分は何をしたいのかを自分の心に確認していく事です

リストラとは、再構築する事です
リストラと聞くと、企業が行うリストラにある人員削減のイメージが強いせいかネガティブなイメージがあるように思いまが、リストラの本来の意味は再構築です
決して、何かを削減するネガティブなものではなく、もっと良くしていく為に再構築していく事を意味しています
企業で行われるリストラに関しても、企業を良くするために再構築するという事を指しています
確かに、リストラが必要な時は、何か状況が悪化している時だとは思いますが、悪い状況を良い状況にしていく時に行うのがリストラです
心をリストラするという事は、自分の心の中が偽りの思いで一杯になってしまい、自分の本当の思いが見えなくなった時に必要になってきます
周りが気になり、周りの評価で自分を評価している時に、自分の心の思いを修正しようと思っても中々できないものです
頭では、周りを気にしてもしょうがない、自分の事は自分で評価したいと思っていても、周りから自分はどう思われているのかが気になってしまい、そう思う事ができないものです
特に「便利」という言葉に振り回せれている時は要注意です
自分ではなく、周りが便利だと言っているだけで、その事が本当に便利かどうかわからずに行っている事がある時はかなり危険です
どんな便利なものにもリスクはあります、何かが便利になるという事は、その分自分に何か負担が掛かる事もあると思います
車や飛行機などの移動手段は遠くまで速くいく事ができますが、それと同時に自分の体に大きな負荷もかかります
SNSは多くの人とのコミュニケーションを容易にしてくれてはいますが、それと同時に使い方によっては自分にとって大きな負担になる事もあります
便利になる事は良い事だとは思いますが、そこにあるリスクを見ることなく、ただ便利だと思って使っていると自分の心への負担は大きくなるように思います
便利だと思って使っているのに、それを使い続けていると心が疲れてしまうものは、便利とは言えないと思います
その事自体は便利なものなのかもしれませんが、その事を使う事で便利に思える事よりも、負担に思える事の方が多いのであれば、それはその人にとっては便利なものではありません
他の人にとっては便利であっても、そこにある機能は便利かもしれなくても、使っている本人が負担を感じているなら、それは「その人」にとっては便利なものではありません
その事が便利かどうかは、最終的には使う人によって違ってくると思います
それなのに、皆が便利だと言っているから便利だと思って、自分では大してそう思わない事を行い続けていては、心の中が偽りの思いで一杯になってもおかしくありません
便利と言われているものを使う事で逆に心に負担が掛かっている、或いは、使っていて便利さを実感できないのに周りが便利だというから便利だと思っている事があるなら、あなたの心には偽りの思いが蔓延し始めています
そんな心の状態だと、目の前にある自分が良く見える事ばかり選択していき、偽りの思いに更に偽りの思いを重ねてしまい、心は慢性疲労を起こしていきます

そんな心を自分でリストラしていきましょう
自分の心にある思いのすべてを1回心の外に出して広げてみて、どんな思いがあるのか一つ一つ見ていきましょう
すべての思いを心の外に投げ出して、色んな思いの下敷きになっていた自分の本当の思いを見つけていきましょう
良い思いもダメな思いも、自分でわかっている思いも良くわからない思いも、周りを気にしてしまう思いも自分の本当の思いも、すべて見る事ができるように広げていきましょう
それには、自分の心にどんな思いがあるのかを紙に書き出していきましょう
とにかく思いつく限り、紙に書き出してみて下さい
良い思いも悪い思いも、正しい思いも間違っている思いも、最高の思いも最低な思いも、できる思いもできない思いも、こんな思いを書いてはいけないと思う事も書いてみましょう
そして、書いた思いの中で、残したい思いと残したくない思いを仕分けして、残したくない思いは捨てるように断捨離をしていきましょう
どんな自分になりたいか、それをイメージして、なりたい自分になる為に必要な思いは残して、そうでない思いは捨てていきましょう
もしその時に、残すかどうか迷う思いがあるならば、自分の中で絶対やりたくない事を決めてみて下さい
ただのやりたくないではなく、これだけは絶対にやりたくないという事を決めてみて下さい
人は「絶対」という言葉が付いた事を選ぶときには、そんなに多くの項目が上がる事はないと思います
今の自分が絶対にやりたくない事を決める事ができると、心の中で残すかどうか迷っていた思いを仕分けする事ができるようになります
今は残す必要がないかもしれないけど、いつか必要な時が来るかもしれない
そう思う思いもあるかもしれませんが、実際の生活でもそう思って残している服や小物が使われる事はないように思います
それは、自分の心の思いも同じで、いつか必要かもと思う心の思いが必要になる事はなく、いつかという思いを抱えているから、今必要な心の思いが見えなくなっているのです
自分で心をリストラしていくという事は、自分の思いを自分が全て受け止める事です
受け入れるのではなく受け止める、受け止めるという事は、その思いを認識はしますが、認めるかどうかはまだ決めない事をいいます
受け止めた事を自分が認めるかどうかは、その思いを残したいと思うか思わなかをまず決める必要があります
それなのに、残すか残さないかを決めずに、残す必要もない思いまで受け入れようとするから、心が疲れてしまい、残す必要ない偽りの思いで心が埋め尽くされてしまうのです
心が疲れてきて、今の自分の心の思いが自分でもわからなくなってきている時は、自分で心をリストしていくようにしましょう

今のあなたの心は疲れていませんか
もし、疲れていると思うのなら
自分で心のリストラをしていきましょう
自分の心の中にある思いのすべてを心の外に広げて
一つ一つ吟味しながら
残したくない思いはそのまま捨てて
残したい思いだけを戻していきましょう
心をリストラしていくには
心の中を一度空っぽにする必要があります
心が疲れている時は、心の中に思いがあるままでは
本当に残したい思いが見えないからです
心が疲れっているときに、心の外に出すことなく
心の中にある状態で自分の思いを断捨離すると
自分の本当のお思いまで捨ててしまい
もっと心が疲れてしまう事があります
皆がそう言うから
便利だから
流行っているから
そんな自分の意思とは関係ない事で
自分の思いを捨ててしまう事がありませんか
あなたの思いはあなたの心の中にしかありません
自分以外の他の人が何を言っていても
自分が残したいと思う思いは自分の心の中にあります
自分は本当は何がしたいのか
その問いかけに「なんだろう」と思う事があるなら
一度、自分の心をリストラしてみて下さい

癒しの心『健康な心』

癒しの心 カウンセリング

自分で心を癒していく

あなたの心は健康ですか
心が病気だとはいわないけど、健康かとういうとそうともいえない
そんな人は意外と多いように思います
健康な心になるには、自分で健康なると思う必要があります
これは、心の健康に限らず、体の健康に関しても同じ事がいえます
心も体も、病気になったら医療の力が必要です
病気になったという事は、自分の力では対応できない事が自分に起こっているからです
自分で対応できない事をそのまま放置していては、心や身体はやがては壊れてしまいます
なので、そうならないように他の力である医療の力を借りて病気に対応していく必要があります
医療に限らず、他の力の助けは自分では対応できない事がある時は必要ですが、健康になる場合はちょっと違ってきます
医療などの他の力では病気を治す事はできますが、健康にする事はできないからです
薬を飲んでいるから大丈夫、医者に通っているから大丈夫は、健康の観点から見れば大丈夫ではありません
体の健康においては、病気があっても症状が抑えられていれば健康と同じのように思っている人が多いように思います
心の健康の場合は、薬を飲んでいれば、医者に通っていれば大丈夫と思う人はいないかもしれませんが、病気でなければ良いと思っている人は多いように思います
心が病気でなければ、健康でなくても良いのではないかと思っている人は多いように思います
心も体も健康になるには、自分の力で健康になるしか方法がありません
それは、健康とは自分の事を自分の力で適切に動かしている状態の事をいうからです
健康になるには、他の力ではなく自分の力で動いていなければいけないという事です
病気は治すものですが、病気が治れば健康かというとそうではありません
健康な自分に戻す事ができて初めて健康になるといえます
何かを治す事があったら、必ず次には元に戻す事が必要になります
それが、すべてにおいて健康になるという事だといえます
私たちは、誰かに病気を治してもらう事があると、心のどこかで誰かが健康にしてくれるのではないかと思ってしまう事があります
特に、心の健康に関しては、誰かが自分の心を癒してくれれば健康になると思ってしまう傾向があると思います
他によって心が癒される事が決していけないとはいいませんが、それで心が健康になる事はありません
自分の心を、元の健康な心に戻す事ができるのは自分だけです
他の人や他の事では、自分の心を元の健康な状態に戻す事はできない事を理解しましょう

心にストレスが溜まっていたりしますか
心にストレスが溜まっていても、ストレスを解消していれば大丈夫だと思っているのは少し危険だと思います
ストレスは解消するものではなく対応していくもので、ストレスは解消していくものだと思っていると、自分の心にある本当の問題に気づけない事があります
ストレスを解消していれば大丈夫と思ってしまい、実際に自分の心のストレスが解消できているかどうかを確認せずに、その行動をしていればストレスが解消できると思ってしまうのは危険です
休みの日の行動は元気なのに仕事の日になると元気がなくなる人は、休みの日にストレスを解消しているのではなく、一時的にストレスの影響を抑えているにすぎません
それは、薬で痛みをなくしているのと同じ事で、痛みのもとであるストレスは解消されていない事を表しています
本当にストレスが解消されている人は、元気に仕事をバリバリこなす事ができます
どんなに休みが充実してても、どんなにストレスが解消できると言われている事をしていても、通常の生活に戻った途端に心の疲れが出てしまう人は、何一つストレスが解消されていない人だといえます
それどころか、自分でも気づかないうちにもっと多くのストレスをためてしまう事もあります
そんなストレスを解消できていないのに、自分ではストレスを解消できていると思っている人ほど、心に大きな悩みを抱えている人が多くいるものです
休みの日に心を休ませるのではなく、プライベートを充実させていれば大丈夫と、もっと心にストレスが掛かる事をしていきます
そうなると、自分の心がしんどいと悲鳴をあげていても自分の心を見るのではなく、表面上の充実感だけに頼って何も問題ないとして、心が病気ではないが病気より怖い状態になっていく事があります
心が健康になっていない人が、自分の心は大丈夫だと思う事ほど危険な事はありません
心も体も健康に関しては、これをしていれば誰もが健康になるという事はありません
人は誰もが同じではありません、自分に良かった事が他の人に良いとは限りませんし、他の人に良かった事が自分に良いとも限りません
良いと言われる事は確かに良い事だとは思うのですが、すべての人にとって良いという事は健康に関してはないと思います
特に心の健康に関しては、心が癒されれば大丈夫と他の癒しだけに頼ってしまうのは、心が健康になる事を妨げてしまう事もあります
大事なのは、常に自分と向き合っていく事です
自分の心と向き合って、どうしたら自分の心が健康になるのかを自問自答していく事です
そうすれば、自分の心が健康になるには何が必要なのかが見えてきます

心が健康な人はストレスを解消する必要がありません
心が健康な人は、日々のストレスに上手く対応して、自分に必要なストレスと不必要なストレスをその都度選別しているからです
自分に必要なストレスは自分にとって良いストレスなので、自分の行動力を高めてくれます
自分に不必要なストレスは自分にとって悪いストレスになる事があるので、そうならない前に自分の心の外に捨てていきます
解消しなければいけないストレスがあるという事は、心の中に自分にとって必要かどうかわからないストレスがあるという事です
自分にとって必要かどうかわからないストレスは、ゴミにもならないストレスとなって心の中に漂い続けます
ゴミにもならないストレスは何かに活用されるわけではないのですが、ゴミではないので捨てられる事もないからです
そうなってしまうと、普段の自分の行動では処理できないので、ストレスを解消していると思う行動が必要になります
ストレスを解消する行動をしてしまうのは、心の中にゴミにもならないストレスが増えてきているからです
ゴミにもならないストレスが増えてしまうのは、自分の心の思いを自分が見ていない事を表しています
日々の生活にあるストレスに対応できない、或いは、対応しようとしていない自分がそこにはいます
自分の本当の思いを無視して、周りがそうだから、社会がそうだから、会社がそうだから、自分のせいではない、自分は悪くないと、今の自分にある事実をそのまま見る事ができなくなっています
そこにいるのは、周りの事が気になってしょうがない自分です
周りの事が気になってしょうがない人は、いつも周りの目ばかり気にして自分の思いを抑制していたり、逆に、自分の思いに無理やり同意を求めて押し通していこうとしていきます
どちらの行動も、自分で自分の思いに自信が持てない、持てないから周りが「いいね」してくれる行動をしてしまう気持ちの表れだといえます
自分の思いを抑制していてはゴミにもならないストレスは溜まっていきます
自分の思いに無理やり同意を求めていてもゴミにもならないストレスが溜まっていきます
ストレスを解消する必要がある状態は、自分の心の思いに向き合っていない自分がいる事に気づきましょう
何かができるできない、良い悪い、正しい正しくない、で物事を見ていると心の中にゴミにもならないストレスが漂っていきます
ストレスを解消する行動をしているだけでは、そんなゴミにもならないストレスは増えるばかりです
ストレスは解消するのではなく、対応できるよう自分で自分の心を癒していきましょう

他に心が癒されても心は健康になりません
心が疲れを自分で癒す事ができない時は
他に癒してもらう事も良いですが
他の癒しで心が健康になると思うのは間違いです
他の癒しは、自分の癒しがあって初めて活用できます
他に癒されるだけでは心にどんどんゴミにもならないストレスが増えていきます
今のあなたの心は疲れていますか
ストレスを解消した後は心の疲れがなくなったと思っても
通常の生活に戻った途端に心が疲れているなら
あなたが解消しているストレスは、ゴミにもならないストレスでしかありません
ゴミにもならないストレスを解消していても疲れる心はなくなりません
心が健康になるには
自分で心を癒す事が必要です
それには、自分の心に正面から向き合う
今の自分の心にある思いが気にいらなくても
今の自分の心の思いと正面から向き合いましょう
何かを良くする必要も、正す必要もないので
ただ、今の自分にどんな思いがあるのかを見ていきましょう
そうすれば、ストレスを解消する必要もなく
日々のストレスに対応する事ができるようになります

癒しの心『理想と現実』

癒しの心 カウンセリング

理想を妄想や幻想にしない

今の自分に理想と現実のギャップが大きくあると思う事はありますか
どうして、理想と現実にギャップを感じてしまうのでしょうか
理想はあくまでも理想であって、理想と現実が違っていても何も問題がないはずです
それなのに、理想と現実が違うものになっていると、理想と現実にギャップがあると感じてしまうのは、理想を求めているからだと思います
理想を目指しているのではなく求めているから、理想と現実のギャップに悩んでしまうように思います
目指している事も、求めている事も同じ事のように思うかもしれませんが、何かを目指していく事と、何かを求めていく事は、実際に行動を起こしていくには雲泥の差があります
理想を目指しているという事は、当然まだ理想に到達していないので、理想と現実のギャップがあるのは当たり前です
まだ理想になっていないから目指しているのであって、現実が理想になっていれば、理想を目指す必要はなくなります
しかし、理想を求めていると、理想の自分になる事ばかりを気にしてしまい、理想になっていない今の自分にある現実とのギャップに悩んでいきます
なんで理想の自分になっていないのだろうと、なっていない結果ばかり見てしまい、どうしたらなれるようになるかという事に目がいかなくなっていき、理想と現実のギャップに悩んでしまいます
理想は、まだ自分がそうなっていないから理想であり、理想の自分になっっているなら、それは本当の理想ではないように思います
理想が現実になった時点で理想は理想ではなくなり、理想の自分になった時点で新たな理想の自分が生まれてくるように思います
理想が現実になっていくのは、自分がそうなる行動をしていくからです
他の人の協力を得る事はあるとは思いますが、自分がそうなると思って行動するから現実になっていきます
しかし、理想を求めてしまうと、自分が行動するしないは関係なく、理想の自分になりたい事だけを考えてしまいます
それでも、自分から行動して理想の自分になっていけば良いのですが、理想の自分になりたい思いが強いだけで、実際にはそうなる行動を自分がしていないと、理想が妄想や幻想になっていきます
妄想や幻想の中にあるのは虚実であり、そこには現実はありません
自分で努力することなく理想の自分になりたいと思えば思うほど、理想を目指すのではなく、求めていくようになってしまいます
理想を求めてしまうと、理想になっていない自分を自分が認められなくなります
そうなってしまうと、理想と現実にあるギャップが埋まる事がなく、運まかせのように、こうならないかともっと求めていくようになります
何かを求めるという事は、自分からそうなると思うのではなく、誰かにして欲しいと願っているのと同じだと思います
今の自分に自分を受け入れられないと思う事があるなら、もしかしたら、理想の自分を求めてしまい、そうなっていない自分を自分が認める事ができていないかもしれません
理想の自分になりたいと思う事はいいですが、今の自分は、理想を目指しているのか、それとも、求めているのか、どちらなのかを自分の心に確かめてみましょう

理想と現実にギャップがあるのは、理想としている自分になりたいという思いが強いからだと思います
理想の自分になりたいというよりは、ならなければいけない、そんな思いがあるように思います
理想はあくまで理想、そう思っていても、理想になっていない自分はダメだという思いがあるように思います
そもそも、理想とする自分とはどんな自分なのでしょうか
理想という言葉は共通であっても、その中身は人それぞれの違うように思います
しかし、自分の理想を誰かと比べてしまう、或いは、他の人の理想を自分の理想にしてしまうと、理想と現実のギャップは埋まらないように思います
自分の理想を他の人に説明する時に、だれだれのようなという、他の理想を例にする事はあっても、他の理想をそのまま自分の理想にしてしまうと、理想を目指すのではなく、求めてしまうようになっていきます
自分の理想はあくまでも自分が決めるもので、他の理想を参考にしたとしても、他の理想がそのまま自分の理想になる事はありません
また、自分の理想は自分が目指すのもので、自分が目指すものを他と比べても意味がありません
他と比べる事ができない事を無理やり他の人と比べている内は、自分が感じている理想と現実のギャップは本当のギャップではないと思います
理想を求めてしまう人は、何でも他の人と比べて自分を評価してしまう人のように思います
他の人と比べて、自分がないものがあったら、あれがあったら自分にもできるのにと、ない物ねだりをしてしまうように思います
他の人の事を羨ましいと思う事は誰でもありますが、羨ましいと思う事を自分もできるようになろうと、成長していくための糧にしていけばいいと思います
しかし、羨ましいという思いばかりが募ってしまうと、羨ましいが嫉ましいになり、その内に嫉妬に変わり、どうして自分には無いのかと思うようになっていきます
他の人が自分に無いものがあるように、自分にも他の人に無いものがあります
自分にはそんなものはないと思っているのは、理想の自分を求めているからです
何かを求めているという事は、その事を誰かに与えて欲しいと思っていると同じ事です
誰かが何かを自分に与えてくれると、心のどこかで思っている内は、羨ましいと思う気持ちが嫉妬になって、自分に無い物ねだりをするように思います
まずは、羨ましい気持ちを嫉妬にして無いものねだりはしない
それが、理想を求めるのではなく、目指していく第一歩だといえます

他の人と自分を比べても、他の人が良くできている事を自分もできるようになろうと、目指していく事は良いとは思います
しかし、他の人が良くできている事を自分ができていない事が嫌で、でいるように努力せずにできている自分を求めてしまう事は良くありません
理想と現実のギャップを感じるときは、自分もあんな事ができたらいいのにと思うだけで、その事ができる為の努力ができていない自分がいるように思います
他の人ができる良い事のすべてを自分ができるようになる必要はありません
しかし、自分が羨ましいと思っている事ができない自分を認められない人は、その事を求めてしまうように思います
目の前に魔法使いが現れて、禁断の魔法によって瞬時にできる自分にしてくれないかを願っているように思います
禁断の魔法は禁断なので、その魔法を使った後の副作用は計り知れないものになります
自分に無いものを強く求めてしまい、本当はないのにあるように他の人に見せようとしていくから、理想と現実のギャップは果てしなく大きくなっていくのです
理想は求めるものではなく、目指していくものです
目指していくから理想に到達する事ができ、理想に到達したらまた新たな理想が生まれてきます
求めてしまうと、理想になっている自分ばかり見しまい、そうでない自分を見ないようにしてしまいます
理想は到達した時点で理想でなくなります
理想の自分でいられるのはほんの一瞬です
そう思えれば、理想の自分になっていないのが当たりまえで、まだ理想の自分になっていないから、これからまだ成長していくと思えて人生は楽しいものになります
今の自分ができる、できない、そんな事に一喜一憂する事があっても、理想の自分を目指しているなら、自分はもっと良くなれると思って前に進む事ができると思います

今のあなたに理想と現実のギャップはありますか
もし、あると思うなら
あなたの心は何かを求めていると思います
何かを求めている内は
自分が求めているものは手にできません
誰かが求めているものを与えてくれる事はあるかもしれませんが
誰かに与えてもらっている内は
もっと欲しいと、更に何かを求めていきます
何かを求めていていては
決して満たされる事のない
欲望や願望の飢餓スパイラルに陥っていきます
何かを求めるのではなく、目指していきましょう
何かを目指していくならば
誰かに与えられていては、目指してはいけません
自分から努力しなければ
何かを目指していく事はできません
今の自分に理想と現実のギャップがあるなら
まずは、ギャップを感じている事ができるように目指していきましょう
実際にできるかどうかは関係なく
直ぐに行動できなくても構いません
ギャップを解消できた自分が重要なのではなく
ギャップを解消しようとする自分が重要なのです
今の自分に、もっと良くしたいと思う事があるなら
その事を目指していきましょう
そうすれば
今の自分をもっと良くしていくには
何をしていけばいいのかがわかってきます

癒しの心『不安の正体』

癒しの心 カウンセリング

不安は自分が作っている

人はどうして不安になる事があるのでしょうか
自分にわからない事があると人は不安を感じるのだと思います
わからない事は誰にでもありますが、自分にとってどうでもいい事であれば、わからないままでも不安になる事はありません
逆に、自分が本当にわかりたいと思う事あれば、誰もがわかるまで努力をすると思うので不安になる事はないと思います
不安になってしまうのは、わかりたいとは思っているけど、わかるまで努力する事ができないわかない事がある時だと思います
わからない事がある時に人は、こうかもしれないと想像する事があります
自分がわからない事を想像する事で、その事をわかる為には何をしたらいいのかがわかる事があります
しかし、想像はあくまで想像でそのままでは事実とは言えないので、想像した事は必ず事実かどうかを検証する必要があります
それなのに時に人は、想像であるこうかもしれないを、自分に主観によるきっとそうに違いないにしてしまい、事実に伴わない検証をしてしまう事があります
物事にある事実の検証は、自分の主観ではなく客観的に行わなくては、そこにある事実はわからなないのですが、人はわかりたいのにわからないジレンマが大きくなると、自分の主観だけで事実を決めてしまう事があります
そこにあるのは、客観的な事実ではなく、自分の主観的な私事である私実でしかありません
事実を私実にしてしまうから、わからない事にある事実を知る事ができずに、わからない事はいつまでも本当にわかった事になることはありません
自分がわからない事にある事実を自分の主観だけによる私実で見ていくようになってしまうと、わからない事を知るために必要な想像が、妄想や幻想をするようになっていきます
自分がわからない事を闇雲にわかろうとしても、自分はわかっていないのだから、わからない事をわかる為に何を知れば良いのかがわからない時もあるようには思います
想像であれば事実にたどり着く事ができますが、妄想や幻想だと事実にたどり着く事はできず、たどり着く事ができるのは私実でしかありません
わからない事にある事実を私実にしていれば、わかりたい気持ちは一瞬満たされるのかもしれませんが、その代償として不安な気持ちがどんどん心の中につくり出されていきます
何か不安に思った事があるのに、自分の主観だけでこうに違いないと安易な安心感を得ても、不安に思っているわからない事がわかる事はありません
不安に思っている事があるならば、不安に思っている事にある事実を知るようにして、決して、自分だけで完結してしまう妄想や幻想による私実を事実にしないようにしていきましょう

心にある不安をすぐになくしたいと思って、不安に思っているわからない事にある事実を知るのではなく、自分の妄想や幻想による私実で安心感を得て不安な気持ちを誤魔化していると、その内に何でもかんでも疑いを持つようになっていきます
事実がわかっていても、本当にそうなのかと、そこにある事実を無視して、自分の妄想や幻想による私実でその事を見ていくようになってしまいます
もちろん、私実が事実と同じになる事もあるので、私実だからといって必ずしも事実と違うというわけではありませんが、私実は私実であって事実ではありません
物事を私実で見てしまうと自分の答えが正しくて、自分の答えと違う答えは間違っていると思うようになります
そこには、自分が正しいと思う事が間違っていては不安になる、不安にならない為には自分の正しい思う事はいつも正しいと思い込む自分がそこにいます
そうなると人は、自分の正しさを相手に押し付けるような行動したり、逆に、自分の正しさが脅かされそうな事があると、それは違うと他のダメな所を指摘したり、必要以上に攻撃するようになります
そんな行動の裏にあるのはわからない事による不安が蔓延している心で、他を攻撃する事で不安な思いが心から漏れないようにしている状態だといえると思います
しかし、そんな自分の攻撃が他に通用しなくなると、自分だけの私実の殻に閉じこもってしまい、自分の妄想や幻想による私実を支持してくれる人の言葉ばかりに耳を傾けていくようになります
もちろん、自分の私実の殻に閉じこもっている人を支持する人は、同じように自分の私実の殻に閉じこもっている人だけになります
自分の私実の殻に閉じこもっている人としか接しなくなればなるほど、現実社会にある事実から遠ざかってしまい、その内に、すべては他が悪いと他のせいにばかりするようになってしまいます
そうなってしまうと、自分がわかるわからないは関係なく、自分の事をわかってくれるくれないかで不安になってきます
他の人が自分に賛同してくれると安心して、そうでないと不安になる
そんな不安のスパイラルに自らはまっていくようになります
不安は自分がつくりだしているものであり、不安をなくすには、自分がどう思うかは関係なく、自分の妄想や幻想よる私実も関係なく、不安な事にある事実だけを知る事が大事だと思います

私たちが人間関係に悩むのは、わからない事に不安を感じてしまうからではないでしょうか
自分の事であれば自分でわかる事もありますが、他の人の事はわからない事もあるように思います
もちろん、すべての事をわかる必要はないので、他の人の事を全部わかる必要はないとは思いますが、自分がわかりたい事がわからない、或いは、理解できない、そんな時は、わからない事がわからないままだと心に不安がつくられていくように思います
他の人と上手くやっていきたいのであれば、相手の事を考えた方が良いという事は誰もがわかっている事だと思います
それなのに、人間関係に悩みがある人は、相手の事よりも自分だけの事を考えていくようになってしまいます
初めは、相手の立場に立って相手の事を考えよう、そう思っていたのに、どうして、なぜと、相手に疑問ばかり増えてわからなくなってしまうと、相手が悪い、おかしいと、相手の事ではなく、自分の事でもなく、自分だけの事を考えてしまうようになっていきます
そんな事はない、相手の事を考えている、相手の事を考えているけど、相手が他の人の考えていないからどうしようもない、そんな声も聞こえてきそうです
確かに、相手が自分だけの事しか考えていなくて、他の人の事を考えていない事もあるかもしれません
その人の言動を見る限りには、自分だけの事しか考えていないように見える事もあるかもしれません
しかし、例えそうだとしても、相手が本当に自分だけの事しか考えていないかどうかはわかりません
相手の心の思いは、その人にしかわかりません
その人にしかわからない心の思いを、他の人が外から的確に知る事はできないと思います
その人の言動が、その人の心の思いをそのまま反映しているとは限りません
人の思いはそんなに単純ではないと思います
その事は自分の心の思いを見ていけば誰もがわかっているのに、自分がわからない事によってつくっている不安に惑わされてしまい、自分がわかる相手の行動だけを受け入れて、そうでない行動は違う、おかしいとして受け入れないようにしているから、人間関係に悩むのだと思います
他の人が自分と違う、理解できない事があっても、その事をわからないとして心に不安をつくるのではなく、自分とは違う、理解できないけど、そんな事もあるのかもと、そこに存在している事は認識するようする
そうする事で、わからない事をわからないまま受け入れて不安をつくる事がなくなります
わからないならわからないとその事を認識して、その事をわかるように努力するのか、今の自分ではわからない事もあると認識する事ができると、わからない事によって心に不安がつくられる事がなくなると思います

今のあなたの心に不安な事はありますか
もし、心に不安があるなら
わからない事をわからないまま放置している自分がいます
心に不安があるなら、放置しているわからない事を
わからないと認識してみましょう
なんで、どうしてと思うのではなく
今の自分ではわからない、理解できないと認識してみましょう
そうすると、わからない事がわかる事はありませんが
わからない事による不安はなくなっていきます
わからない事があるから不安なのではなく
わからない事をわからないと認識できない
いえ、したくない自分が不安をつくっています
わからない事が全くない人はいません
そうであるなら、自分にわからない事があっても何も問題ありません
他の人の事を理解するという事は
わからない事をわからないと認め
わからないながらも、わかろうと努力する事だと思います
実際にわかる事よりも、わかろうとする事の方が
人間関係においては重要だと思います
相手の事をわかろうとしていますか
相手がどうしているかは関係なく
自分が相手の事をわかろうとしているかどうかです
もし、相手をわかろうとする行動ができるようになれば
少なくても、相手に対する不安はなくなり
人間関係が上手くいくかどうか別として
人間関係に悩む事はなくなるように思います

癒しの心『未健康な心』

癒しの心 カウンセリング

自分で癒して健康になる

自分の心は病気ではないが健康でもない、そう思うのであれば、今のあなたの心は未健康だといえます
ストレス社会で生活している私たちの心は、誰もが自分でも気づかないうちに未健康な心になっているように思います
もし、今の自分の心は未健康なのかもしれない、そう思うなら、そんな未健康な心をそのまま放置していないで、健康な心になっていけるようにしていきましょう
病気や未病ではないから問題はないと未健康な心をそのまま放置していると、健康な心になっていかないだけでなく、病気より怖い未健康な心になってしまう事があるのでとても危険です
病気より怖い未健康な心は自分だけではなく周りから見ていても、普通の未健康な心と何も変わらないように見えてしまうので、だからこそ病気よりも怖いといえるのかもしれません
人は心に限らず体においても、病気であるならば少なからず自分に改善しなくてはいけないものがある事を自覚する事ができますが、未健康ではその事を自覚する事ができません
体の場合は、未健康な状態を放置していると病気になっていくので、いつかは自分の体の異変に誰もが気づく事ができますが、心の場合は、未健康を放置していても病気になるとは限らず、病気より怖い未健康な心になってしまう事があるので、心の異変に自分で気づいていく事ができない事があります
体の健康の場合は未健康を放置している先には病気があり、病気になって初めて自分にある過ちを改善していこうと思う事ができますが、心の場合は、未健康を放置している先には、病気だけではなく病気より怖い未健康な心があるので、病気によって気づかされる自分の過ちに気づく事ができないまま、同じ過ちを繰り返してしまい、自分の心を疲弊させてしまう事があります
そのまま病気より怖い未健康な心でいると、自分にある過ちを過ちだと思わなくなり、他の人がおかしい、親がおかしい、先生がおかしい、会社がおかしい、学校がおかしい、社会がおかしいと、自分が正しくて周りが間違っていると思い込んでしまい、人生の負のスパイラルにハマってしまいます

自分の心が疲れているかもと感じている時は、今の自分の心にどんな負担があるのか、そして、どんな状態になっているのかを自分が知っていく必要があります
今の自分の心は健康なのか、もし健康ではないなら未健康なのか、未病なのか、或いは病気なのか、どの状態であるのかを知っていく事がとても重要になります
自分の心が健康ではないならば、健康になっていくために必要な課題が心の中にあります
その課題をクリアする事ができれば、自分の心は自分の力で健康にしていく事ができるようになります
自分で自分の心を健康にしていく事ができるようになれば、一時的に心の負担が大きくなって心が疲れた状態になってしまう事があっても、疲れた心が未健康な心である疲れる心になってしまう事はなく、自分で自分の心を癒して健康な心を維持していく事ができるようになっていきます
健康な心になっていけば、心の負担が大きくて未健康な心になってしまう事があったとしても、健康でいるために自分がクリアしていく必要がある課題にいち早く気づく事ができ、未健康な心から健康な心に戻す事ができるようになります
しかし、病気や未病でなければ未健康な心でもいい、心は健康でなくても病気でなければ問題はないから健康になっていく事をしなくてもいい、そう思って未健康な心をそのまま放置していると、病気より怖い未健康な心に確実になっていきます
未健康な心はあくまでも健康な心になっていくための通過地点でしかなく、未健康な心がゴールになる事はありません

病気であれば、その状態を放置していてはいけないと誰もが思いますが、未健康な心の時は、その状態を放置していいてはいけないと思う事がないように思います
未健康な心は病気や未病ではないので、何かの治療が必要なわけでもなく、病気のように何か名前がついているわけでもありません
病気ではない未健康な心のときに、誰かが自分の心を癒してくれるに違いないと、自分では何もしないで他の癒しだけで自分の心が癒せると思っている状態は、病気より怖い未健康な心になり始めている状態だといえるかもしれません
自分の心を健康にしていく為には、誰かの力を借りたとしても最終的には自分で自分の心を癒していく事が必要になってきます
他の人の癒しでは、病気の心を未健康な心にしていく事はできても、未健康な心から健康な心になっていく事はできません
健康は誰かにしてもらうものではなく自分でなっていくもので、自分で自分の心を癒して未健康な心から健康な心になっていく、そう自分が意識していく事がとても大切になります
できるかできないかではなく、健康な心になるまで自分で自分の心を癒していく、そう心の中で意識していくだけでいいのです
自分で心を癒して健康になっていく事を意識する事ができれば、未健康な心にある課題を見逃してしまう事もなく、その課題をクリアしていく為には、今の自分は何をしていけばいいのかがわかるようになってきます

自分の心が思う事を、どうせ無理、できないと思っている心は、健康ではなく未健康な状態です
心が健康ではなくても病気でなければいい、そう思って未健康な心を放置していると、今は未健康な心かもしれませんが、その内にあなたの心は確実に病気より怖い未健康な心になってしまいます
心を健康にしていく事は誰でもできます
自分で健康になると心の中で本当に思う事ができれば、健康にしていく事ができるからです
しかし、誰にでもできる事ほど、実際に行っていくのが難しい事はなく、心を健康にしていく事が誰にでもできるという事は、心が健康でないようにする事も誰にでもできてしまうという事です
自分で体を健康にしていくのに欠かせないのが食ですが、心の健康に欠かせないのは癒しになります
人は食べた物を自分で消化吸収していくから体を健康にしていく事ができますが、それと同じように、他に癒されるのではなく、自分で心を癒す事で心を健康にしていく事ができるようになります
心も体も健康になっていくには、他の力によって健康になっていく事はなく、自分の力で健康になっていくしかありません
自分で健康になる、そう思って自分から行動していく事ができるどうかで、健康になるかどうかが決まってきます
もし、自分で心を癒して健康になっていく事を意識しないでいると、健康な心になっていくのに必要な課題に気づく事はできず、そのまま気づかずに自分では何もしないでいると、悪いストレスの影響ばかり受けてしまい、病気より怖い未健康な心になってしまいます
自分でも何かしなければいけないと思っているのに、日々の忙しさに何もする事ができない
自分は何ができるのかわからずに、周りが良いといっている事ばかり追いかけてしまう
本当は違う事をしたくても周りと同じ事をしていないと不安でしょうがなくなる
自分の意見を言いたいけど自分の意見なんかどうせたいした事ないと思って何も言えなくなってしまう
そんなあなたの心は、病気ではないけど健康でもない未健康な心だといえるので、自分で健康になると思って、自分で自分の心を癒す事ができるようになっていきましょう

なると思っているのになれないのは
なれないと心のどこかで自分が思っているからです
そんなこと言ってもなれないと思ってしまう、
もしそうであるなら、なれないと思ったけどなれる
そう思い直すようにしていきましょう
自分がなれないと心のどかで思っているものに、人は絶対になれません
人は自分がなれると思っているものにしかなっていく事ができません
自分はなれないと思ってしまう事があっても構いません
そうであるなら、なれないと思ったけどやっぱりなれる
そう思うようにしていきましょう
なれないと思う事があったら何度でも
自分はなれる、そう思うようにしていきましょう
しょうがないと思って諦めなければいけない事もあるかもしれません
本当にやるだけやって、自分が諦めたのであれば何も問題がありません
しかし、健康に関しては
やるだけやって健康になれないという事はなく
今の自分が健康ではないという事は
まだ、やるだけやっていないという事を表しています
心も体も健康は、自分がなると思えば誰でもなれます
病気でなければ良いと
健康ではない未健康な心のままいるのではなく
自分で健康になると思って
自分で自分の心を癒す事で
健康な心になっていきましょう

癒しの心『過去の経験』

癒しの心 カウンセリング

過去は今の自分が作っている

過去に戻ってやり直したいと思う事はありますか
もちろん、過去をやり直す事はできません
そもそも、仮に過去をやり直す事ができたとしても、やり直したい過去をもう一度経験したからといって、自分が満足できる結果になるとは限りません
自分が満足できる結果になるまで過去を何度もやり直していては、その後の人生が本当に自分が満足できる人生になるとは思いません
やり直して上手くいくと思えるのは、上手くいかなかった過去があるからだと思います
どんな過去であっても、その過去をなかった事にしてしまう事は、それはやり直すのではなく、初めからその経験はしていない事になってしまいます
やり直したい過去があるのは、過去が今の自分を作っていると思っているからかもしれません
確かに、過去の自分は、昔は今の自分であったので、過去が今の自分を作っていると思ってしまうのかもしれませんが、過去は過去で今ではありません
過去が今の自分を作っているのではなく、今の自分を作っているのは今の自分だけになります
それは、今の自分だけでなく、過去も未来も、作っていけるのは今の自分だけになります

どんな過去があったのか、どんな未来にしたいのか、その事を思い描けるのは、今の自分だけだからです
もちろん、過去の経験は今の自分が思い描く事に大きな影響を与えてはいますが、どんなに大きな影響を与えていたとしても、最終的に過去の経験はこうであったと作っているのは今の自分になります
過去に戻ってやり直したいと思ってしまうのは、過去の経験は過去が作っていて、今の自分ではどうしようもない事だと思っているからだと思います
確かに、過去に経験した事を変える事は今の自分にはできませんが、過去の経験した事をどう解釈していくかは、今の自分でも変える事ができます
過去の経験自体を変える事は誰にもできませんが、過去の経験に対する解釈を変えていく事は誰でも可能で、過去の経験に対する解釈を変えていく事ができれば、過去をやり直したのと同じような事ができるように思います
どんな過去の経験であっても、今の自分が思っている過去は今の自分の解釈によって作られています
もちろん、過去の経験がもとになってはいますが、今の自分が思っている過去は、過去によるものではなく、今の自分の解釈が作りだしているものになります
そうであるならば、仮にやり直したいと思う過去の経験があったら、もしその事をやり直すとしたらどうしたいのか、そして、やり直したらどんな自分になっているのかをイメージする事ができれば、本当に過去をやり直さなくても、過去をやり直したのと同じ効果があるように思います
過去の経験にいくらダメ出ししても、過去は何も変わりません
ダメ出しが有効なのは、未来に対して行っている時だけだと思います
終わった事をあーだこーだ言っていても、何も変わりませんし、何も解決しませんし、何も得るものはありません
それなのに人は、やり直したいと思う程の過去の経験があると、そんな経験をした自分にダメ出しをし続けてしまいます
もしかしたら、そんな経験をした自分を認めたくないからダメ出しをしているのかもしれませんが、過去の自分にダメ出ししている人が、ダメ出ししている自分より良い自分になっていけるとは思いません

自分が自分にダメ出しをしていれば、他の人からダメ出しされても心ダメージが少ないと思って、自己卑下しているのかもしれませんが、その行動は逆に自分の心を傷つけていきます
確かに、過去の出来事を他の人にいじられて嫌な思いをする事もあるかもしれせんが、だからと言って、自分で自分にダメ出ししていても何も解決はしません
人は、自分で自分にダメ出しする事は許せても、他の人からダメ出しされる事は許せないように思います
それは、過去は変える事ができず、過去の経験による汚点はいつまでたっても汚点のままであると思っているからだと思います
過去の汚点を汚点だと思っているのは自分であって、他の人がいくら過去の事をいじってきても、自分がその事にダメ出しをしなければ、その過去は自分の中では汚点になる事はありません
自分から自分にダメ出ししていく事は、何も自分の心を守っていく事にはなっておらず、他の人にダメ出しされるよりも、心のダメージは自分では気付かないうちに深いものになってしまうのでやめましょう
自分にダメ出ししている自分がいたら、ダメ出しをしているダメな自分ではなく、ダメな自分にダメ出ししている自分を自分が許してあげるようにしていきましょう
やり直したいダメな過去の経験を許すのではなく、そんな経験をしてしまった自分をダメ出ししている自分を許してあげましょう
許せないと思っている事をそのまま許す事は難しいですし、許せないと思っている事を無理やり許してしまう事の弊害はとても大きいといえます
許せない事を許す必要はないとは思いますが、許せないと思っていく必要はありません
許せないと思う事でも許せるほうが良いとは思いますが、今の自分ではまだ許す事ができないのに許そうとしていく事は、心に大きな負担を掛けていく事になります
それなのに、すべてを許したほうが良いと思って、許せない事を無理やり許そうとしてしまうから、結局その事を許せなかった自分を自分が許せなくなり、過去をやり直したいと思ってしまいます
確かに過去の経験で許せないと思うような事はあるかもしれませんが、その事を自分が許しても許さなくても、どちらでもその事が何か変わっていく事はありません
自分が許しても許さなくても、過去の経験は何も変わらないのに、自分が許すか許さないかで、過去の経験への自分の解釈は変わってしまいます
自分が許せないと持っている事があるのは、その事が許せないというよりは、その事を許せないと思っている自分を自分が許せないだけのように思います
許してはいけないと思う事も確かにあるとは思いますが、だからといって、その事を許せないと思い続けているのは、その事が許してはいけない事だからではなく、その事に対応できなかった自分を自分が許せないからだと思います
どんなに衝撃的な過去の経験であっても、その経験を前に進んでいくステップにしてく事ができるのか、そこから動かないようにする重石にしてしまうのかは、そんな自分を自分が許す事ができるかどうかで決まっていきます
過去をやり直したいと思っている自分を自分が許していきましょう
自分の事を自分が許す事ができるようになると、許せないと思っていた過去の経験を許すとまでは思えなくても、許さないとも思わないようになっていきます
すぐには、許せないと思っていた事を許す事はできないとは思いますが、許せないと思わないようにしていく事は誰にでもできます
許さないと思わない事は決して、許す事にはなりません
許さないと思わない事は許す事だと思ってしまうから、許せない事をいつまでも許せないと思ってしまうのです
許せないとまでは思わなくなってきたけど、許すともまだ思えない、そうであるならば、許さないと思う事だけやめていきましょう
許さないと思う事をやめたからといって、その事を許した事にはならないという事実をもとに、許す事ができない事を許さないと思っていこうとする自分を、自分が許していきましょう
そうする事で、過去の経験は今の自分が作っている事を実感する事ができると思います

今の自分に許せないと思う事はありますか
自分が自分を許す事は誰にでもできます
それは、自分を「許す」と自分が思えばいいからです
もちろん、社会のルールや道徳に違反した行為は許してはいけません
許してはいけませんが、そんな事をした自分は許しましょう
罪を憎んで人を憎まず、そんな諺もありますが
ダメな行動を許す必要はありませんが
ダメな行動した自分は許していきましょう
ダメな行動はダメですし、ダメな行動を許してはいけません
しかし、ダメな行動した人まで許さない事は
ダメな人が良くなっていく機会を奪う事になってしまい
ダメな行動を良い行動にしていく事ができなくなります
自分が自分を許していくという事は
自分がしたダメな行動を許す事ではなく
ダメな行動を良い行動をしていく為に
ダメな自分を自分が許していく事です
自分が自分を許していく、それができるようになれば
自分からダメな行動はなくなってくると思います