癒しの心『自分と会話をする』

癒しの心 カウンセリング

自分の事をわかっていますか

自分の事は自分が一番わかっている、確かにそうですが、自分の事を一番わかっていないのも自分のような気がします
自分の事であるならば、本人である自分がすべてを知る事ができるので、自分の事で自分が知らないという事はありません
自分のすべてを知る事ができるから自分の事をわかっていると思うのかもしれませんが、知る事ができるからといって自分の事がわかっている事になるかというと、それはまた別の問題になります
知っている事をわかっていると思ってしまうのは、物事にある本質を理解しているとはいえません
その事を知っていても、なぜそうなるのかが理解していなければ、知っている事がわかっている事にはなりません
しかし、自分の事だと知ろうとしなくても知る事ができるので、知っている事とわかっている事の違いに気づきにくいのかもしれません
知る事ができないことがあれば気づく事ができるのに、すべてを知る事ができるという特殊な状況が、知っている事とわかっている事の違いをわからなくしているように思います
人は、わからないと思う事があれば、その事を知ろうとしていくとは思いますが、わかっていると思ってしまうと、その事を知ろうとしてく事はありません
知る事ができないことがあるからわからない事があり、わからないと思うから知らない事に気づく事ができ、知らない事に気づく事ができるから、知らない事をわかろうと理解していくようになると思います
もし、すべて知る事ができる、そう思う事があったとしたら、その事でわからないと思う事はなく、わからないと思わなければ、それ以上その事を知りたいとも思う事はなく、ちゃんと理解するまでわかっていこうとする事もありません
わかっているという事を知っているという事だけで終わらせてしまうのか、もっと知りたいと思って、その事を理解していこうとしていく事なのか、どちらかになるかは、その事に自分が知らない事がどれだけあるかによって変わってくるように思います

自分はどんな自分だろうか、そう改めて考えてみた時に、どんな自分であるかをイメージできる人は少ないのかもしれません
どんな自分なのか、自分の良い所はどこで、ダメな所はどこなのか、そう考えた時に、こうですとハッキリ言える人の方が少ないように思います
しかし、どんな自分かをハッキリ言える、或いは、イメージできる事と、自分の事を理解しているかは必ずしも同じであるとは限りません
どんな自分かを明確に答えられる人の中には、自分の事を理解しているのではなく、他の人が理解しやすい自分を答えているだけの事があるからです
こんな自分だと言えば周りは自分の事を理解してくれるはずだと思って、自分が知る事ができる自分を知らない事にして、自分の思いとは全く違う自分を答えていきます
どんな自分かを明確に答える事ができる人の中にも自分の事を理解している人はもちろんいますが、自分を理解していると思い込んでいる、或いは、思い込まされているだけの人も多々います
自分を理解するという事は、自分の事を明確に説明できる人の事ではなく、自分で自分の事を理解していこうとしている人の事をいいます
自分を理解していると思う事ではなく、自分の事を理解していこうと思っていく人が、自分の事を理解している人だといえます
自分の事は、自分が知りたくないと思っていても、自分の心では知ってしまいます
自分の事を理解していると思っていると、今の自分が理解したくない自分を知らされる事があると、そんな自分を知る事をやめてしまい、今の自分とは別の自分を自分だと思い込むようになってしまいます
知る事ができることをやめてしまうのは、知らなければ違う自分になれると思っているからかもしれませんが、自分が知ろうが知りまいが自分は自分であって、周りに見られたい自分が自分である事はありませんし、それは自分の事をわかっているとはいえません
自分の事をわかる事ができるのは、自分を理解していると思う事ではなく、理解しようと思っていけるかいけないかがポイントになります
それは、他の人の事であっても同じで、他の人の事がわかるという事は、その人の事を理解していると思う事ではなく、その人の事を理解していこうと思っていく事をいいます
他の人の事であれば、理解していこうと思う事と理解していると思う事は同じ行動になるかもしれませんが、自分の事に関してはそうなるとは限りません
他の人の事であれば、自分が何をしなくてもすべてを知る事ができるわけではないので、その人を理解していくには、知らない事を知って理解していく事が必要になるからです
しかし自分の場合は、知らない事は初めからないので、知らない事を知って理解していくという事はなく、知っているから理解しなくていいになってしまうと、自分の事をわかっているようでわかっていない自分になってしまいます
他の人の事がわかるというのは、その人のすべての事を知っているからわかっている事を言うのではなく、知っていようがいまいが、何があってもその人の事を理解しようとしていくから、その人の事をわかっていく事ができ、それは自分に対しても同じだと思います

自分の事を理解しようとし続けていくには、自分が自分と会話していく事が有効だと思います
他の人の事を理解していくのに、他の人と会話していく事が一番有効なのと同じように、自分が自分と会話していくのが、自分を理解していくにも一番の方法だと思います
自分はどんな自分なのか、そして何をしていきたくて、何をしていきたくないのか、そんな事を自分に問いかけてみましょう
何ができるかできないかではなく、どんな良い所やダメな所があるかでもなく、何に優れていて何が劣っているかも関係なく、これから自分はどうなっていきたいかを考えてみましょう
今の自分ができる事で考えるのではなく、周りから見られたい自分を考えるのではなく、純粋に今の自分がしてみたい事は何か、なってみたい自分はどんな自分かを考えていきましょう
その事を考えていく事が、自分が自分と会話している事になっていきます
してみたい事やなってみたい自分が考えられない、そう思う人がいたなら、絶対にしたくない事や絶対になりたくない自分をまずは考えてみて下さい
ただのしたくない事やなりたくない自分ではなく、必ず「絶対」という言葉を前に付けて考えてみましょう
してみたい事やなってみたい自分が浮かばない人は、絶対にしたくない事やなりたくない自分がわかると、してみたい事やなってみたい自分が少しづつ見えてくるようになってきます
何かをできないと思ってしまうのは、その事ができるどうかわからないからですが、してみたい事やなりたい自分は、できるからそう思うのではなく、そうしていきたいと思うからそう思う事ができます
物事ができるかできないかは、よほど特殊な事でなければ、その事ができるまで続けていけばできるようになります
今の知る事ができる事だけで自分をわかっていると思っていては、できるかどうかわからない事をやってみようとは思いません
しかし、今の知る事ができる自分を理解していこうと思い続けていけば、今できるどうかに目がいくのではなく、その事をしていくには、なりたい自分になるには何をしたらいいのか、そんなこれからの自分の可能性に目を向けていくようになっていきます
こうしたい、こうなりたいという思いは誰にもあります
それらの思いを、今の自分が知っている自分だけで自分をわかっていると思ってできないとするのか、今の自分が知っている自分を理解していこうとして、今の自分ができないと思う事でもできるようにしていくのか、どちらの行動しているかで自分で自分の事をわかっているのか、わかっているつもりなのかがわかります

あなたは、今の自分を理解していますか
こんな事ができる、こんな良い所があるなど
自分をアピールする事ができるのと
自分が自分の事を理解しているのとは少し違います
自分をアピールしているだけでは
それは、自分の事がわかっているのではなく
他の人にわかってもらいやすい自分を演じようとしているだけです
わざと演じているのであれば、それでも良いのですが
演じている自分を本当の自分だと思っているならば
それは自分の事をわかろうとしていない自分になっています
自分の事をわかろうとしていない人が
自分の事をわかるようになる事は永遠にありません
もし、今の自分にそんな状態があるなら
自分ってどんな人なんだろう
どうしてそう思うのだろう
なぜそう感じるのだろう
自分ってこんな所あるようね、などなど
自分で自分の事を見つめ直して
自分と会話してみましょう
そうする事で、自分を理解しようと思う事ができ
自分を理解しよと思い続ける事で
自分の事がわからないという思いはなくなります

筆者の本
本3