自分のことなのに他のせいにする
自分に嘘をつくことはありますか
人は誰でも間違うことがあると思います
そのときに、間違いを認めることができないと、人は、自分に嘘をついてしまうことがあると思います
本当は、自分でも間違っていたとわかっているのに、そのことを間違っていると認められないことがあるように思います
どんなに、間違いを認めることで、今の自分に大きな負担や困難なことになったとしても、間違いは修正する必要があります
間違っていることを、間違ったままにしていて、良いことはありません
そのことは、誰もが頭ではわかっていながら、間違いを認めることができないことがあります
それだと、間違いを間違いではない、そう思い込もうとして、間違いを認めないどころか、自分は間違っていないことにしようとしていきます
自分は間違っていない、そう言い張ってしまい、自分は悪くない、自分のせいではないようにしていくことがあります
周りの人も、明らかにその人のせいであることはわかっていても、猛烈な言い訳に押し負けてしまい、渋々、その人の言い分を通してしまうこともあるように思います
そのことが、自分が認めなければ間違いはなかったことにできる、という歪んだ思考を生んでいくように思います
間違いは、どんなに自分が認めなくても、間違ったことが正しいことになることはありません
ルールなどで決められた間違いは、ルールが変わってしまうと、今まで間違っていたことが正しく、今まで正しかったことが間違いになることがありますが、それは、間違いを判断するルールが変わったからであり、決して、間違いを認めないことで、間違ったこと自体が変わったからではありません
自分が間違ったと思う行動は、ルールや他がどう思おうが、間違ったままです
自分が間違ったと思った行動を認めないことで、他に自分は間違っていないことにしたからといって、その行動自体が何か変わることもありません
行動自体が変わることがなければ、その後も自分は、その間違った行動を続けていくことになります
そのたびに、間違いを認めないことで、他に自分は間違っていないと思わせていくことは、そのうちできなくなるように思います
自分が間違ったと思うことであれば、そのことを修正する必要があります
他がどう思うかは関係なく、自分が間違ったと思うのであれば、間違っていることを正しいことに変える必要があります
そのときに大事なのは、今よりも良くなるかだと思います
正しいか、正しくないかよりも、そのことをすることで、何かが良くなるかどうかだと思います
それは、自分だけではなく、周りのすべての人が良くなるかどうかです
自分が良ければいい、そう思うこともあるかもしれませんが、自分が良ければいいと思っていては、本当に自分が良くなることはできません
自分が本当に良くなることは、自分だけではなく、周りの人すべてが良くなることの中にあるからです
それは、両方の行動をしていけばわかることですが、人はどうしても、自分が良くなるだけの行動をしてしまうことがあるように思います
それだと、自分が間違っても、自分が良ければいいと思って、間違いを認めようとしないことがあります
それだと、自分は悪くないと思って、自分が自分に嘘をつくようになっていきます
初めは、自分が間違っている、そう思っていても、自分は悪くない、自分のせいではないと思って、自分は間違っていないと、自分に嘘ついていくようになります
自分が自分に嘘をついていくことほど、自分の人生を不幸にしていくことはありません
他の人に嘘をついて良いとは言いませんが、嘘も方便ということがあるように、他の人に嘘をつくことが必要なこともあるように思います
しかし、自分に嘘をつく方便はないと思います
間違いは修正する必要があり、間違いを修正するには、自分が間違いを認めることが必要です
自分が間違いを認めないで、間違いを修正することはできません
仮に、他の人に対しては間違いを認めないことがあっても、自分の中で間違いを認めていけば、その間違いを修正することができます
もちろん、他の人に対しても間違いは認めた方が良いですが、時と場合によっては、できないこともあるようには思います
しかし、だからといって、自分の中まで間違いを認めようとしないのは良くなく、それでは、間違いは間違いのままになり、その後にもっと大きな間違いになっていくことが多々あります
間違いがあるなら修正することが必要です
他の人にそれを知らせるかどうかは置いといて、間違いを修正することはどんなことにおいても必要だと言えます
それなのに、自分に嘘をついてまで、間違いを認めないようにしてしまうことがあるのは、自分に責任を持つことができていないからだと思います
社会生活における人の責任は、社会への責任と、自分への責任があると思います
社会への責任は、社会における他の人たちに対する責任のことであり、自分への責任は、自分に対する責任のことです
社会への責任は、自分がした行動であっても、自分に責任があるとは限りませんが、自分への責任は、自分がした行動であれば、責任はすべて自分にあります
人が、自分に嘘をついているときは、社会への責任と自分への責任が混同しているときだと思います
それは、社会への責任の場合は、他のせいにして回避することができてしまうことがあるからです
もちろんそれは、自分にとっても、他の人にとっても良くないことであり、良くないどころか、最終的には自分の首を絞めることになりますが、社会の仕組み上できてしまうことがあります
なので、すべてを他のせいにできれば自分への責任も回避できる、そう思うのかもしれませんが、社会への責任は他のせいにできることがあっても、自分への責任は他のせいにすることはできません
自分への責任は、他の人が関係していても、どんなことであっても、すべて自分にあるからです
どんな行動であっても、自分がした行動の責任は自分にあり、自分にしか責任を取ることはできません
どんなに他のせいにしても、実際に他のせいであっても、自分への責任が関係するのは自分だけなので、責任がとれるのは自分にしかできないという事実がそこにあります
自分への責任は、どんなに他のせいにして周りを納得させても、自分からなくなることはありません
そのことがわかっていれば、仮に、他の人に嘘をつくことがあっても、自分に嘘をつこうとはしません
それは、自分に嘘ついても、何か変わることはなく、自分の責任もなくならないことを理解しているからです
自分に嘘をつくことほど、自分の人生を不幸にしていくことはありません
今の自分は、自分に嘘をついているかも、そう思うことがある人は、今日から、嘘をつくのをやめていきましょう
そうすれば、自分への責任を持つことができ、どんな問題も自分で解決していくことができるようになります
自分に嘘をついているかも
そう思うことはありますか
何か自分の行動を指摘されたとき
「でも、だって」と思うことがあるときは
自分に嘘をついているときかもしれません
自分に責任がないことを指摘されているならば
誰もが、それは自分のせいではないと言えると思いますが
「でも、だって」と思っていることは
自分にも責任があるそう思っていることだと思います
自分のことであるならば
すべては自分に責任があります
自分ことに「でも、だって」という言葉あるときは
自分への責任から逃げたいという思いがあるときです
自分への責任から逃げることはできませんし
逃げる必要もありません
自分への責任は、自分にある
そう自分が思っていけばいいだけです
他の人にあーだこーだいう必要はなく
自分の中だけで、自分に責任がある
そう思っていけば良いだけです
それができれば、自分に嘘をつくことはなくなり
自分の間違いを認めることができるようになります
そうすれば
自分から間違いを修正することができるようになり
自分を成長させていくこともできるようになります